石橋 武の「多読乱読、言いたい放題!」112

 私が今まで読んだ本のうち、印象に残った本を紹介しています。

●村上春樹『レキシントンの幽霊』。
 1996年上梓。
 1990年〜91年、『ダンスダンスダンス』、『TVピープル』の後に書かれた4編と、1996年、『ねじまき鳥クロニクル』後に書かれた2編、そして1995年、『めくらやなぎと眠る女』を約60%の分量にリライトしたショート・バージョンで構成されている。
◆「レキシントンの幽霊」(1996年):『ねじまき鳥クロニクル』執筆時、ボストンに滞在していた時の体験談。レキシントンにあるアメリカ人の友人の豪邸。ドイツへ暫く行かなければならないという友人からの依頼で留守番を引き受けた僕は、深夜の幽霊たちの摩訶不思議なパーティを体験する。
◆「緑色の獣」(1991年):専業主婦が主人公。日中、ぼんやりと庭の椎の木を見つめていると、その根元あたりから緑色の獣が現れる。その獣は、主人公に求婚しにきたと言う。その獣が人の心を読めると知った主人公は、その獣を心の中で徹底的にいたぶる。その獣は徐々に生気を失い消滅する。
◆「沈黙」(1991年):著者と大沢さんは、新潟へ行く飛行機の出発を待ちながら空港のレストランで会話を交わす。大沢さんの打ち明け話。中学時代からボクシングを習い出した。中学校の時に一度人を殴ったことがある。表層的な男。人気のある男。大沢さんを憎んだ彼は卑劣な手段で大沢さんをのけ者にする。何とかそんなイジメを乗り越えたが、彼は忘れていなかった。高校3年生の時に再び彼と同クラスになった大沢さんは、級友の自殺した原因にされてしまう。自殺した級友は大沢さんに殴られていた、という流言飛語。精神的に危なくなるところまで追い詰められていた大沢さんは、そんなある日、通学電車の中で彼と鉢合わせする。お互いの目を見続ける。そして、彼はふと大沢さんの視線を外す。その途端、大沢さんを縛っていたものが解けた。憎しみは消えた。そして、哀しみだけが残った…。
◆「氷男」(1991年):氷男と結婚した私。何の不満もない結婚生活だったが、息苦しくなり、彼に南極旅行を提案する。何もない南極。そこで、氷男は現地に溶け込み、嬉々として毎日を過ごす。しかし、私は厚い氷に包まれた寡黙な世界の中で、すべての力を失っていった。「冬がきたんだよ」と氷男は言う。「どうやら僕らには春を待つしかないようだね」。そんなある日、私は妊娠していることに気づく。お腹の中に小さな氷男がいることに。もう南極から出られない。私は泣く。氷の涙をぽろぽろと流し続ける。
◆「トニー滝谷」(1991年/ロング・バージョン):トローンボーン奏者として、戦中戦後を上手く渡って行った滝谷省三郎。その一人息子の滝谷トニー。彼もイラストレーターとして、上手く世渡りをしていた。ひとりの女との衝撃的な出会い。結婚。主婦として申し分のない彼女だったが、一つだけ彼女にはどうしようもない性癖があった。服を買うこと。一部屋が服で埋まった時、彼はそれとなく注意を促す。彼女は頷き、最近買ったもの2点を返品にいく。その帰り、彼女は抗い難い購買欲にアクセルを踏み込み、交通事故で逝ってしまう。残された無数の美しい服たち。妻の影の影たち。妻の喪失を埋めるため、妻と同サイズの女性アシスタントを雇い、妻の服装で勤務させようとするが、結局断念してしまう。まとめて処分する。それから暫くして、父・省三郎も逝く。残された莫大な数のレコード。それも処分する。妻の影とその影、父の影とその影。全てがなくなり、彼は本当にひとりぼっちになってしまった。
◆「七番目の男」(1996年):7番目の男が、10歳のころの体験談を話す。仲の良い、美しい年下の少年。絵の上手な少年。台風の日、その眼が真上にある小康時、彼は海を見に出た。少年もついてくる。無音で襲いかかってくる津波。少年に注意を促すことができず、彼は独り逃げた。波に攫われた少年。次の津波が来た時、彼はその波頭に横たわった少年を見た。少年と目が合った。彼を非難しているように思った。その後、その情景が悪夢となって彼を苛む。40年後、彼はやっと変わり果てた故郷へ帰る。悪夢の海と対峙する。悪夢の海に身を投げ出す。そして、悪夢は終わった。
◆「めくらやなぎと、眠る女」(1995年/ショート・バージョン):1984年に上梓された『蛍・納屋を焼く・その他の短編』。そこに収められた『蛍』と『めくらやなぎと眠る女』。この二つの短編が、後に『ノルウェイの森』の重要なモチーフとなったと著者が記している。さて、この「、」付きの今作は1983年に発表された「、」無しのショート・バージョンだ。全体のムードはそれほど変わってはないのだが、余分なものを削り再構築することによって、作品としての完成度は圧倒的に高くなった。もっと良くなる筈だという著者の執念が伺われて、興味が尽きない。

● モシャの呟き
「幽霊」っていう言葉を、最近あまり聞きません。科学が進んだこの時代、「幽霊は脳の認識がどうたらこうたら」的な説明で、片付けられてしまいがちだからでしょうか。
 幽霊が存在したらしたで困りますが、居なかったら居ないで、なんか淋しい気もします。

石橋 武の「多読乱読、言いたい放題!」111

 私が今まで読んだ本のうち、印象に残った本を紹介しています。

●村上春樹『TVピープル』。
 1990年上梓。
 1989年に発表された短編と書き下ろし2編で編まれた短編集だ。
◆「TVピープル」:日曜日。妻が不在で所在なげにソファに寝転がっていた。突然3人のTVピープルが現れ、SONYのテレビを設置して帰って行った。TVピープルは人間をそのまま70%くらいに縮小したような体躯をしている。だから、遠近法が狂ったように見える。帰ってきた妻は、テレビが置かれ、通常ではない部屋の様子なのに何も言わない。翌日、会社にもTVピープルが現れる。しかし、誰も彼らのことに言及しない。TVピープルが彼らを無視して行動しているように、無視される側もTVピープルを無視しているようだ。その夜、家に現れたTVピープルは、飛行機を作っていると彼にその様子をテレビを通じて見せる。どう見ても飛行機ではなく、オレンジ絞り器にしかみえない。そして、TVピープルは言う。「奥さんはもう帰って来ない」と。恐らく、『1Q84』における「リトルピープル」の原型だろう。疼きの兆候——「ックルーズシャャャタル・ックルーズシャャャャャタル・ッッッッックルーズムムムス」、廊下を歩く音——「カールスパムク・ダブ・カールスパムク・ダブック・カールスパムク・クブ」、物事を簡単に片付ける様——「サリュッッップクルゥゥゥツ」、時計の音——「タルップ・ク・シャウス・タルップ・ク・シャウス」など、繰り返される著者独自の「オノマトペ」が少々煩い。
◆「飛行機——あるいは彼はいかにして詩を読むようにひとりごとを言ったか」:言葉ありきの小品。「僕はまるで/詩を読むみたいに/ひとりごとを言う」。これに繋がる男女の会話。そのひとりごととは、「飛行機/飛行機が飛んで/僕は、飛行機に/飛行機は/飛んで」だけど、飛んだとしても/飛行機が/空か」というもの。引用部分が恐らく先にあったのだろう。それを繋げ、物語の体裁をつけたもの。
◆「我らの時代のフォークロア——高度資本主義前史」:高校時代の理想のカップル。その内実がイタリアの街で偶然に再会した男友だちの口から赤裸々に語られる。身についた壁。心の壁。そんな壁の中でしか生きられなかった彼女。『回転木馬のデッドヒート』最新版といった趣き。とても良い。
◆「加納クレタ」:水の音を聴く姉・マルタ。物心付いた時から、意味もなく男に暴力的に犯され続ける妹・クレタ。隠れ住んでいたが、火力発電所の設計で自信をつけ、外界へと身をさらす。やがて、死神が現れる。そしてクレタを犯し、殺害する。冥界でクレタは自分が内に持つ「水の音」を聴くのだった。「れろっぷ・れろっぷ・りろっぷ——私の・名前は・加納クレタ」。『ねじまき鳥クロニクル』へのフラグメント。
◆「ゾンビ」:真夜中、墓地の横の道を歩く1ヶ月後に結婚を控えた男女。男がいきなり、女の欠点をあげつらう。がに股だ、右耳の中にあるみっつのほくろ(下品だ!)、腋臭(夏に出会っていたら付き合わなかった!)、襟の汚れ、趣味の悪いイヤリング、太った母親(豚だ!)etc.。「そんなに嫌ならどうして結婚しようとするの?」「お前を食らうためさ」。そして、彼はゾンビになり、彼女に襲いかかる。気がつくと、湖畔のリゾートホテルの一室。ベッドの中で男に抱かれている。怖い夢を見た。彼女は彼に尋ねる。「私の耳にひょっとしてほくろがある?」「ひょっとしてそれは、右耳の中にある品のないみっつのほくろのことかな?」(下線筆者)。悪夢の無限連鎖。息抜き的小品か。
◆「眠り」:主人公は専業主婦。17日間、眠らない。いや、自らの意志は全く関係ない。眠れない。いやいや、もっと強烈だ。覚醒している。覚醒したままだ。「眠り」は個人の持つ行動・思考の「傾向」をクールダウン(中和)させる役割を持つ。家族が寝静まった夜。夫の、夫によく似た息子の寝顔を見る。惚けたように眠るその顔に違和感・嫌悪感を感じる。「傾向」を何の抵抗もなく受け入れている寝顔。人生のほとんどが「傾向」なら、人生って何だ? 私は、私の実感ある「生」を生きる。だから、「眠り」は不要だ。戸惑いから確信的不眠へ。深夜、トルストイの『アンナ・カレーニナ』を何度も読み、ドストエフスキーにも手を伸ばす。気が向けば、愛車を転ばせ、夜の町をドライブする。とても充実していた筈だが、急にある考えに取り憑かれる。それは「死」についての考えだ。「眠り」と「死」は違う。「死」は果てしなく深い覚醒した暗闇だ。その考えに途轍も無い恐怖を覚える。思わず愛車に飛び乗る。深夜の駐車場。深甚な恐怖と闘っている時、誰かが呼びかけてくる。無視していると、今度は車が揺さぶられる。車のキーを回すが、エンジンはかからない。リアルな恐怖が襲ってくる……。
 『我らの時代のフォークロア——高度資本主義前史』と『眠り』が私的ベストだ。
● モシャの呟き
 SONYのテレビを設置していったということなんで、TVピープルはSONYの人間かと思ったんですが、わからないですね。
 ヨドバシカメラかもしれないし、エディオンかもしれない。
 無料でTVをくれたみたいなので、案外どっかの富豪? いや、ってか、「奥さんはもう帰って来ない」ってことは、TV代金は奥さん?
 私の代わりに置かれるTVが小さなTVだったら嫌だなぁ。
 ブラウン管のTVだったら、もっと嫌だなぁ。痛烈な皮肉のようで

石橋 武の「多読乱読、言いたい放題!」110

 私が今まで読んだ本のうち、印象に残った本を紹介しています。
●村上春樹『蛍・納屋を焼く・その他の短編』。
 1984年上梓。
 1983〜84年、『回転木馬のデッド・ヒート』と前後する時期に発表された短編で構成されている。
◆「蛍」:学生寮で暮らす僕。その学生寮では荘厳な君が代が流される国旗掲揚で1日が始まる。高校時代に知り合いだった女の子と再会する。彼女の彼氏だった僕の友人は、ある日、自殺した。そして、(恐らく)彼女は、彼女の何処かは、確実に損なわれてしまった。そんな彼女と何となく付き合い出す。そして、なんとなく、一度きりだったが、身体の関係もできる。そして、ある日突然、彼女は京都の療養所に入る、といって東京からいなくなってしまう。まるで『ノルウェイの森』の1エピソードのようだ。
◆「納屋を焼く」:パントマイムで「蜜柑剥き」をする彼女と出会う。彼女は北アフリカへ行き彼氏を連れて帰ってくる。ある日二人が僕の部屋へ遊びにくる。彼女が酔って寝てしまってから、二人で話す。その彼氏の趣味は「納屋を焼く」ことだと言う。近々、僕の近所の納屋を焼くという。僕は近所の納屋をリストアップし、順繰りに監視する。どこも焼かれないまま、その彼と再会する、その彼は、焼いたという。
◆「踊る小人」:象工場に務める僕。夢の中に踊る小人が出てくる。凄い踊りだ。工場仲間から、踊る小人を知っている老人の存在を聞き、その老人と話をする。革命前に、皇帝が倒れる前に、その小人の踊りを見た、と老人は話す。僕に好きな女ができる。どうアプローチしてよいか分からない。ある日、夢の中の小人に相談する。踊りで彼女はお前のものになる、と小人は言う。しかし、僕は踊れない。小人の提案は、僕の中に自分が入り、僕の身体を使い、見事に踊ってみせよう。そうすれば、彼女はお前のものだ。一つの条件が付帯する。決して声を出してはいけない。声を出したら、お前の身体は私のものになる。彼女をダンスフロアから連れ出し、彼女を抱こうとしたとき、突然、彼女の肉体は崩れ出し、ウジが沸き出し、腐臭が漂う。僕は悲鳴を食い止める。これは、小人が仕掛けた罠だ。彼は耐え、彼女をものにすることができたのだが…。結局、彼はその踊りのせいで追われる身になってしまうのだ。
◆「めくらやなぎと眠る女(ロング・バージョン)」:難聴気味のいとこの付き添いで病院へ行く。彼の治療を待つ間、僕は8年前の高校生の頃、同じ病院で胸の手術をした友人の彼女を見舞いに行った時のことを思い出していた。紙ナプキンの裏に彼女が創作したらしい「めくらやなぎ」の絵を描いていた彼女。かがみこんでそれを描いているものだからパジャマの襟もとから乳房の間の平らな白い肉が見えた。
◆「三つのドイツ幻想」:1.冬の博物館としてのポルノグラフィー:セックスのことを考えると、僕はいつも博物館にいる。2.へルマン・ゲーリング要塞1983:東ドイツの青年が自慢するヘルマン・ゲーリングが作った要塞。1945年のロシア侵攻にもびくともしなかった。しかし、ヘルマン・ゲーリングの愛した美しいハインケル117爆撃機は、ウクライナの荒野の何百とその白骨を晒しているのだ。3.ヘルWの空中庭園:クロイツベルクの霧の海の中にぽつんと浮かぶ空中庭園。東西ベルリンを隔てる壁の脇に建つ4階建てのビルの屋上に繋がれ、15センチだけ浮かんでいる空中庭園。ヘンデルの「水上の音楽」の第二楽曲。それは、とてもこの空中庭園にふさわしい。「夏にまた来なさい」とヘルWは言う。
 リアリズムもあれば、幻想的な話もある。表層的な意匠は別にして、これらの短編に共通しているのは、モヤモヤとしたなんとなく重苦しい空気感——あえて言葉にすれば「静かな締念」とでも言えるか。これらの短編は、それをより的確に表現する手段を、手探りで模索しているかのようだ。私的には、完成度は別にして、これらの過渡期的(?)な短編小説は嫌いではない。
● モシャの呟き
 パントマイムの「蜜柑剥き」。自信満々にやられそうなので、出来ることなら一生見たくないです。

石橋 武の「多読乱読、言いたい放題!」109

 私が今まで読んだ本のうち、印象に残った本を紹介しています。
●村上春樹『カンガルー日和』。
 1983年上梓。(1981年から83年にかけて雑誌「トレフル」に連載。)
 村上春樹という作家は、様々な物語の断片を紡ぎながら、それらの集積の向こうに、途轍も無いナラティブを見出す(発見する?)才能を持った人だとつくづく思う。無論、同じ井戸からくみ上げた水なんだから、全ての断片が、その大きなナラティブの一部であることはいうまでもないのだが。これらを読んだ後で、再度(再々度か)、長編を読めば、また違った世界が見えてくるんだろう。そんな気がする掌編集だった。
● モシャの呟き
『カンガルー日和』というタイトルから、どんな内容なのかを考えてみました。
 ある日、カンガルーを見に、主人公はサファリパークへ赴く。しかし、母カンガルーに子カンガルーと間違えられ、お腹のポケットにいれられてしまう。ポケットの中は、違う世界とつながっており、主人公は中世ヨーロッパへ。そして、ある街で、カフカという名の青年に出会う。主人公は彼が持つ、小さな緑色の象の置物を託され、本当の持ち主を探す旅に出る。
 で、途中で誰かが損なわれたり、突然妻が居なくなったりします。と、なんとなく村上フレイバーにしてみました。

石橋 武の「多読乱読、言いたい放題!」108

 私が今まで読んだ本のうち、印象に残った本を紹介しています。
●村上春樹『中国行きのスローボート』。
 1983年上梓。
 この作品集は、『1973年のピンボール』後の4編、『羊をめぐる冒険』後の3編、つまり1980年春から1982年夏にかけて発表された7編で構成されている。
◆『中国行きのスローボート』:今までの生涯で出会った3人の中国人。小学生の頃、模試を受けるために訪れた中国人学校。その監督官の中国人教師。アルバイト先で知り合った女子大生。10年を経て再会した高校時代の同級生。それぞれのちょっとしたエピソードを思い出し、そして、主人公は思うのだ。「友よ、中国はあまりにも遠い」と。
◆『貧乏な叔母さんの話』:背中に張り付いた「小さな貧乏な叔母さん」。彼と関わる人たちは、彼の背中に自らにとって「目を逸らせたいもの」を見る(らしい)。「もちろん時は全ての人々を平等にうちのめしていくのだろう。(中略)/それでもぼくたちは貧乏な叔母さんという、いわば水族館のガラス窓をとおして、そんな時の跳梁ぶりを目のあたりに見ることができる。狭苦しいガラスケースの中で、時はオレンジみたいに叔母さんをしぼりあげていた。汁なんかもう一滴も出やしない。僕を引きつけるのは、彼女の中のそんな完璧さだ。/もう本当に一滴だって出やしないんだよ!」。「死」から、またはそれを象徴するものから目が離せない。しかし、ある時、「小さな貧乏な叔母さん」は僕の背中から去っていった。
◆『ニューヨーク炭坑の悲劇』:台風や集中豪雨がやってくる度に、動物園へ足を運ぶ習慣を持つ友人。葬儀がある度に、僕は彼に礼服を借りる。それが頻繁に起こった年。「夜の闇の中をね、地の底から這い上がってきたその目に見えない何かが跳梁しているんだ。冷やりとした空気の塊りみたいなものさ。でも動物たちはそれを感じる。そして、俺は動物たちの感じるそれを感じる」。「死」は本当に身近に在るのだ。
◆『カンガルー通信』:デパートの商品管理課に務めている僕。レコード交換を言ってきた顧客(女性)の手紙に感じた「大いなる不完全さ」に触発された僕は、彼女へ返信しなくては、と思った(と言っても、カセットに吹き込んだもの)。「カンガルーの存在なしにカンガルーは存続しないし、カンガルーの存続という目的がなければカンガルー自体も存在しないのです」。あげく、「もし、あなたがふたつに分割され、僕がふたつに分割され、そしてその四人でベッドを共にできたらどんなに素敵でしょう」と宣う。ほとんど偏執狂の独り言。
◆『午後の最後の芝生』:芝生刈りのバイト。僕はアルバイトの最後の日、その家の芝生を刈ることになった。アルコールを手放さないよく肥えた女主人。彼の芝生刈りを褒め、飲み物をすすめ、そして、見てほしいものがあると邸内に誘う。女の子の部屋。一月以上の埃が積もった部屋。女主人は主人公に問う。「どんな女の子の部屋だと思う?」。彼は想像したままを口にする。気怠い中にも満足げな女主人の表情。「次回も芝生を刈りにおいでよ」。しかし、それ以来、僕は芝生を刈ったことはない。
◆『土の中の彼女の小さな犬』:シーズンオフのホテル。ガールフレンドと喧嘩別れして、一人。そこで一人の女と出会う。境遇当ての他愛無い会話。夜のプールサイド。女が昔話をする。死んだ犬。一緒に埋めた貯金通帳。それを掘り出したこと。そして、消えない匂い。僕はいう。「手を嗅がせていただいてもいいですか?」。手からは石鹸の匂いしか、しなかった。
◆『シドニーのグリーン・ストリート』:シドニーの場末、グリーン・ストリートで探偵事務所を開いている僕。「羊男」が「羊博士」に耳をちぎられた。僕は羊男の耳を取り戻すべく奮闘するのだが…。
● モシャの呟き
「アルコールを手放さないよく肥えた女主人」のいる家に芝生刈りに行く…。
 考えただけで憂鬱になりますね。
 行きたくない病を発症しそうです。
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プロフィール

●ミネルバネオ代表 石橋武
【経歴】
1974年/立命館大学経営学部を卒業し、㈱大阪読売広告社に入社
1994年/現代文講師出口汪氏と大学受験予備校S.P.Sを立ち上げるべく、㈱大阪読売広告社を退社。㈱ミネルバ代表取締役として、大阪、後に東京で大学受験予備校S.P.Sを経営。
2002年/大阪のS.P.Sにて、出口氏が開発した教材「論理エンジン」を使用した個人のお客様向け添削業務や国語特訓塾、学校様・塾様向けの「論理エンジン」販売や指導方法のレクチャーを開始。
2007年5月/㈱水王舎代表取締役に就任し、「論理エンジン」営業のみならず、書籍の企画・販売にも携わる。
2011年2月、㈱水王舎代表代表取締役を退任。
2011年8月/ミネルバネオを設立
趣味は読書、映画鑑賞。MC中心のお笑いオヤジバンドの一員でもある。

●共同執筆者(ペンネーム:モシャ)プロフィール
甲南大学を卒業しました。
ミネルバネオで働いています。
30代半ばを過ぎてしまいました。
よく聴く音楽はプリンス、レディオヘッド、シールなどです。
親戚は人間国宝(陶芸)です。ちなみに私の父方の祖父も陶芸家でした。

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