10代に読んでおいたら良いな、と思う本(第10回)
◆寓話を手がかりにする
◇いしいしんじ『プラネタリウムのふたご』(講談社文庫)
どこの国か分からないが、星の見えない村のプラネタリウムに棄てられていた双子。彗星に因んでテンペルとタットルと名付けられ、プラネタリウムの解説員である「泣き男」を父として、気の置けない村人の間で二人は育つ。14歳の夏、テンペルは手品師テオ一座と共に村を出、手品師となり各地を巡る。一方タットルはこの村で郵便配達夫となり、プラネタリウムの解説員も兼務しながら、村の中で自分の居場所を作っていた……。物語は静かに二人の全く違う生活を描写する。しかし、あるきっかけで二人は再びクロスする。最後のタットルの科白。「じつはね、これから最大の手品に挑戦するんだよ。……ぼくはね、水になるんだ。……海や川の流れに乗って、ぼくは世界中を旅する。雲になって山をわたり、高い空から街へ、ざあざあ降りおちる。ときには真っ白い霧になって、街のそこかしこへ、自由にはいりこんでいく。どうだい、すごいと思わないか」。これが語られるシーンまで、是非辛抱強く読んでほしい。暖かく、大きな感動がきっとあなたを待っている。
そして、続けて読んでほしいのが、同じ作者の手による『ポーの話』(新潮文庫)。この作品も不思議な話だ。うなぎ女から生まれた男の子ポー。普通の人間ではない。手の指の間に水かきがあり、水の中をいつまででも潜っていることができる。肌の色はうなぎのように黒い。そんな彼が「天気売り」という相棒と川を下りながら様々な状況に出くわしていくロード・フィクション(こんな言葉があるのかな?)だ。大洪水や切り裂くような岩場に激突する波など、激しく水が暴れる場面もあるが、通奏低音として常に静謐な水の流れを感じる不思議な読書感だ。解説を『河岸忘日抄』の堀江敏幸が書いているが、彼の作品と、全く意匠は違うが共通するものを感じた。
◇パウロ・コエーリヨ著『アルケミスト(錬金術師)』(角川文庫)
「羊飼いの少年サンチャゴは、アンダルシアの平原からエジプトのピラミッドに向けて旅に出た。そこに、彼を待つ宝物が隠されているという夢を信じて―。『何かを強く望めば宇宙のすべてが協力して実現するように助けてくれる』少年は錬金術師の導きと、さまざまな出会いと別れのなかで、人生の知恵を学んでいく。世界中の人々の人生に大きな影響を与えてきた夢と勇気の物語(「BOOKデータベース」より)」。
マクトクーブ、「それは書かれている」、大いなる意志が、あらかじめその人の運命を書き記している、というような意味か。様々な兆しを掬い(来し方)、行く末(未来)を知る。こんな会話が交わされる。
「…砂漠に浸りきるがよい。砂漠がお前に世界を教えてくれるだろう。本当は地球上にあるすべてのものが、教えてくれるのだ。お前は砂漠を理解する必要もない。お前がすべき事はただ一つ、一粒の砂をじっと見つめることだけだ。そうすれば、お前はその中に、創造のすばらしさを見るだろう」「どのように、砂漠に浸りきればいいのですか?」「お前の心に耳を傾けるのだ。心はすべてを知っている。それは大いなる魂から来て、いつか、そこへ戻ってゆくものだからだ」「どうして僕たちは自分の心に耳を傾けなければならないのですか?」「お前の心があるところが、お前が宝物を見つける場所だからだ」「僕の心は傷つくのを恐れています」「傷つくのを恐れることは、実際に傷つくよりもつらいものだと、お前の心に言ってやるが良い。夢を追求しているときは、心は決して傷つかない。それは、追求の一瞬一瞬が神との出会いであり、永遠との出会いだからだ」。
●カズオ・イシグロ著『わたしを離さないで』(ハヤカワ文庫)
キャシー・Hという女性が主人公で、彼女の一人称で物語られる。彼女は「介護人」。しかも相当優秀な「介護人」のようだ。彼女は「ヘールシャム」という寮のようなところで16歳まで過ごした。その期間中、彼女たちはある目的のための存在であることを知らされる。その後、「コテージ」に移され、自己申告のうえ、訓練を経て彼女は「介護人」になった。最後に見えてくる構図は、彼らを「人間」として扱おうとする力と「非人間」として見る力との軋轢だ。この静謐な物語の結末はあなたの目で確認してほしい。
◇いしいしんじ『プラネタリウムのふたご』(講談社文庫)
どこの国か分からないが、星の見えない村のプラネタリウムに棄てられていた双子。彗星に因んでテンペルとタットルと名付けられ、プラネタリウムの解説員である「泣き男」を父として、気の置けない村人の間で二人は育つ。14歳の夏、テンペルは手品師テオ一座と共に村を出、手品師となり各地を巡る。一方タットルはこの村で郵便配達夫となり、プラネタリウムの解説員も兼務しながら、村の中で自分の居場所を作っていた……。物語は静かに二人の全く違う生活を描写する。しかし、あるきっかけで二人は再びクロスする。最後のタットルの科白。「じつはね、これから最大の手品に挑戦するんだよ。……ぼくはね、水になるんだ。……海や川の流れに乗って、ぼくは世界中を旅する。雲になって山をわたり、高い空から街へ、ざあざあ降りおちる。ときには真っ白い霧になって、街のそこかしこへ、自由にはいりこんでいく。どうだい、すごいと思わないか」。これが語られるシーンまで、是非辛抱強く読んでほしい。暖かく、大きな感動がきっとあなたを待っている。
そして、続けて読んでほしいのが、同じ作者の手による『ポーの話』(新潮文庫)。この作品も不思議な話だ。うなぎ女から生まれた男の子ポー。普通の人間ではない。手の指の間に水かきがあり、水の中をいつまででも潜っていることができる。肌の色はうなぎのように黒い。そんな彼が「天気売り」という相棒と川を下りながら様々な状況に出くわしていくロード・フィクション(こんな言葉があるのかな?)だ。大洪水や切り裂くような岩場に激突する波など、激しく水が暴れる場面もあるが、通奏低音として常に静謐な水の流れを感じる不思議な読書感だ。解説を『河岸忘日抄』の堀江敏幸が書いているが、彼の作品と、全く意匠は違うが共通するものを感じた。
◇パウロ・コエーリヨ著『アルケミスト(錬金術師)』(角川文庫)
「羊飼いの少年サンチャゴは、アンダルシアの平原からエジプトのピラミッドに向けて旅に出た。そこに、彼を待つ宝物が隠されているという夢を信じて―。『何かを強く望めば宇宙のすべてが協力して実現するように助けてくれる』少年は錬金術師の導きと、さまざまな出会いと別れのなかで、人生の知恵を学んでいく。世界中の人々の人生に大きな影響を与えてきた夢と勇気の物語(「BOOKデータベース」より)」。
マクトクーブ、「それは書かれている」、大いなる意志が、あらかじめその人の運命を書き記している、というような意味か。様々な兆しを掬い(来し方)、行く末(未来)を知る。こんな会話が交わされる。
「…砂漠に浸りきるがよい。砂漠がお前に世界を教えてくれるだろう。本当は地球上にあるすべてのものが、教えてくれるのだ。お前は砂漠を理解する必要もない。お前がすべき事はただ一つ、一粒の砂をじっと見つめることだけだ。そうすれば、お前はその中に、創造のすばらしさを見るだろう」「どのように、砂漠に浸りきればいいのですか?」「お前の心に耳を傾けるのだ。心はすべてを知っている。それは大いなる魂から来て、いつか、そこへ戻ってゆくものだからだ」「どうして僕たちは自分の心に耳を傾けなければならないのですか?」「お前の心があるところが、お前が宝物を見つける場所だからだ」「僕の心は傷つくのを恐れています」「傷つくのを恐れることは、実際に傷つくよりもつらいものだと、お前の心に言ってやるが良い。夢を追求しているときは、心は決して傷つかない。それは、追求の一瞬一瞬が神との出会いであり、永遠との出会いだからだ」。
●カズオ・イシグロ著『わたしを離さないで』(ハヤカワ文庫)
キャシー・Hという女性が主人公で、彼女の一人称で物語られる。彼女は「介護人」。しかも相当優秀な「介護人」のようだ。彼女は「ヘールシャム」という寮のようなところで16歳まで過ごした。その期間中、彼女たちはある目的のための存在であることを知らされる。その後、「コテージ」に移され、自己申告のうえ、訓練を経て彼女は「介護人」になった。最後に見えてくる構図は、彼らを「人間」として扱おうとする力と「非人間」として見る力との軋轢だ。この静謐な物語の結末はあなたの目で確認してほしい。