石橋 武の「多読乱読、言いたい放題!」048
私が今まで読んだ本のうち、印象に残った本を紹介しています。
● 村上春樹『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』
2013年上梓。4月12日発売。『1Q84 Book3』以来、3年振りとなる長編小説だ。前回の新潮社ほど華々しい販促活動はなかった。深く潜航し、内圧が徐々に高まっていくような高等戦術を文芸春秋社はとった。そのせいか、予約段階で30万部を突破し、なんと初版を50万部刷ったそうだ。『1Q84』の夢よ、もう一度、といったところか。しかし、本の内容とは関係のない、そういった一連のお祭り騒ぎが、作品につまらない「色」をつけてしまうような気がする。本書の題名の「色彩を持たない」という部分が、それを皮肉っているようにも思えてしまうのだが……。
さて、本書を一言で言えば、リアリズムで書かれた『ノルウェイの森』以来の小説である。高校生の頃、非常に親密だった5人の仲間たち。アオ(男)、アカ(男)、クロ(女)、シロ(女)、そして唯一名前に色彩がない、多崎つくる。「つくる」から見ると、色彩が入った名前を持つ彼らは、皆それぞれ人より秀でたものを持っていた。何の特徴(人に誇れる部分)もない自分。色彩を持たない自分。からっぽの自分。それが出発点だ。ただ1人東京の大学へ進学した「つくる」は、20歳の時、突然仲間から追放されてしまう。全く心当たりがない。何故なのか? その理不尽な通達が彼を死に向かわせる。ぎりぎりのところで踏ん張った彼の容貌は劇的な変化を遂げる。生き続けることを選んだ彼の、学生時代唯一の友人・灰谷も色を持っていた。放浪に出た灰谷の父親の、奇妙な話。「緑」を名前に持つピアニストの話。秘境の温泉郷。主人公は灰谷との親密な時間が、同性愛的色彩を帯びることに恐怖する。
それから16年。鉄道駅をつくる会社の社員である彼には、沙羅という2歳年上の恋人ができた。沙羅は彼に、過去の不可解な追放劇の真相を知るべきだと助言する。そして、フィンランドまで続く、「つくる」の真実探求の巡礼が始まる……。
この作品は決して面白くなかったわけではない。僅か数時間で読了してしまったくらい面白かった。読みながらドキドキもした。しかし、である。「我が儘な読者」である「私」の求める「村上春樹」ではなかった。こんな、いわば普通の(普通過ぎる)物語を、なぜ今、村上春樹はつむぐ気になったのだろうか?
著者は一種のガス抜きとして本書を書いたのか?
それとも、とことん象徴化して再構築した「作り込まれた作品」ではなく、生の感情をそのまま写しとるだけの作品を書きたかったのか?
その問いに対する答えを知っているのは、村上春樹、ただ1人。私はその事実の前に、茫然とたたずむことしかできないでいる。
★モシャの呟き
この本を読みました。読みながら、「つくる、しっかりしろ!」と何度思ったことか。つくるのオカンになった気分でした…。
つくるがいやらしい夢を見ている最中には、叩き起こしたい衝動にかられ、鳴っている電話を取らずにカティーサークを飲んだりしている時には、代わりに受話器を取って「つくる、電話やで」と取りつぎたい衝動にかられ、疲れました。
あと、灰谷くん。灰谷くんの存在は、つくるの妄想だと私は思うのですが、どうでしょう?
● 村上春樹『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』
2013年上梓。4月12日発売。『1Q84 Book3』以来、3年振りとなる長編小説だ。前回の新潮社ほど華々しい販促活動はなかった。深く潜航し、内圧が徐々に高まっていくような高等戦術を文芸春秋社はとった。そのせいか、予約段階で30万部を突破し、なんと初版を50万部刷ったそうだ。『1Q84』の夢よ、もう一度、といったところか。しかし、本の内容とは関係のない、そういった一連のお祭り騒ぎが、作品につまらない「色」をつけてしまうような気がする。本書の題名の「色彩を持たない」という部分が、それを皮肉っているようにも思えてしまうのだが……。
さて、本書を一言で言えば、リアリズムで書かれた『ノルウェイの森』以来の小説である。高校生の頃、非常に親密だった5人の仲間たち。アオ(男)、アカ(男)、クロ(女)、シロ(女)、そして唯一名前に色彩がない、多崎つくる。「つくる」から見ると、色彩が入った名前を持つ彼らは、皆それぞれ人より秀でたものを持っていた。何の特徴(人に誇れる部分)もない自分。色彩を持たない自分。からっぽの自分。それが出発点だ。ただ1人東京の大学へ進学した「つくる」は、20歳の時、突然仲間から追放されてしまう。全く心当たりがない。何故なのか? その理不尽な通達が彼を死に向かわせる。ぎりぎりのところで踏ん張った彼の容貌は劇的な変化を遂げる。生き続けることを選んだ彼の、学生時代唯一の友人・灰谷も色を持っていた。放浪に出た灰谷の父親の、奇妙な話。「緑」を名前に持つピアニストの話。秘境の温泉郷。主人公は灰谷との親密な時間が、同性愛的色彩を帯びることに恐怖する。
それから16年。鉄道駅をつくる会社の社員である彼には、沙羅という2歳年上の恋人ができた。沙羅は彼に、過去の不可解な追放劇の真相を知るべきだと助言する。そして、フィンランドまで続く、「つくる」の真実探求の巡礼が始まる……。
この作品は決して面白くなかったわけではない。僅か数時間で読了してしまったくらい面白かった。読みながらドキドキもした。しかし、である。「我が儘な読者」である「私」の求める「村上春樹」ではなかった。こんな、いわば普通の(普通過ぎる)物語を、なぜ今、村上春樹はつむぐ気になったのだろうか?
著者は一種のガス抜きとして本書を書いたのか?
それとも、とことん象徴化して再構築した「作り込まれた作品」ではなく、生の感情をそのまま写しとるだけの作品を書きたかったのか?
その問いに対する答えを知っているのは、村上春樹、ただ1人。私はその事実の前に、茫然とたたずむことしかできないでいる。
★モシャの呟き
この本を読みました。読みながら、「つくる、しっかりしろ!」と何度思ったことか。つくるのオカンになった気分でした…。
つくるがいやらしい夢を見ている最中には、叩き起こしたい衝動にかられ、鳴っている電話を取らずにカティーサークを飲んだりしている時には、代わりに受話器を取って「つくる、電話やで」と取りつぎたい衝動にかられ、疲れました。
あと、灰谷くん。灰谷くんの存在は、つくるの妄想だと私は思うのですが、どうでしょう?