FC2ブログ

石橋 武の「多読乱読、言いたい放題!」100

 私が今まで読んだ本のうち、印象に残った本を紹介しています。
● 堀江敏幸『ゼラニウム』
 2002年上梓。
 砂を握る。きめの細かい乾いた砂だ。掌に生ものめいた不思議な弾力を感じる。そのうち、さらさらと砂は指の間から溢れていく。砂の指と指の間をこぼれ落ちていく感じがとても気持ちいい。気がつくと、掌の中には、もう砂はない。少し湿った砂粒が掌に残っているだけだ。この「少し湿った砂粒」は、恐らくこの短編集全体の通奏低音でもある、幽かな官能性なのだろう。
 素敵な短編集だった——これが、初読時の感想だ。しかし、これではあまりにも抽象的で、とりとめがないように思われた。もう少し具体的に、何故このような感触を得たのかを書かなければならないだろう。それが、時をおかず再読した理由だ。
 『薔薇のある墓地』——パリ市内から電車で約10分。アルクィユ・カシャン駅。ビエーヴル川を抱く、ジャンティイからアルクィユにかけての谷間をまたいだヴァンヌ水道橋を睥睨する空間。約1年前、自分が頼んだ仕事で高速道路を走行中、事故に遭い、死亡したエレーヌに花を手向けるために、「私」はその地を訪れた。きっかけは、クリスチアン・オステールの『アルクィユの橋』を読んだからだ。日本のポスター展でのエレーヌとの出会い、彼女のバイクの後に乗った時、レザースーツを通して感じた彼女の「ひんやりとしてなお温もりのある腰の感触」などの様々な想いが、水道橋のある街で蘇ってくる。そして、凄まじい喪失感の中で「私」は茫然と立ち尽くす。
 『さくらんぼのある家』——新郎新婦の田舎屋を借り切っての披露パーティー。新郎の、そしてまた新婦の友人でもある「私」。結婚前、新郎と新婦は同棲していた。だが、新婦は南フランスの別の学校へ就任、別居する。彼女の借りた家の中庭にはさくらんぼの木があった。向かいには、独身の大男が住んでいて、彼女とはさくらんぼのお裾分けを期に《友だち》になったようだ。彼女は「《友だち》にふと気を許す」傾向のある女性で、新郎になる男は気が気ではない。毎週のように中庭にさくらんぼの木がある彼女の借家を訪れ、奇妙なガラス製のオブジェ(上段から下段にかけ、水が溜まり、流れるような水槽の連なり)を作成する。そんなある日、その大男は自殺してしまう。新郎は彼女の「《友だち》にふと気を許す」傾向が、その男に誤解を与え、実らぬ恋に身を焦がした末に死を選んだのではないかと思いはじめる。それから、二人の間はぎくしゃくしたものになってしまった。しかし、それにも拘らず二人は結婚したのである。
 さて、帰りの足のこともあり、披露パーティーを新郎の承諾を得、新婦と二人抜け出し、彼女の借家に泊まった「私」は、居間にある巨大なガラスのオブジェを見る。居間で眠れないまま朝を迎えた「私」は、その未完成のオブジェを水で満たそうと考え、実行に移す。水が満ち、流れ最下段まで溜る。が、まだ少し水の量が不足している。水を満たす音に気づき、寝室から出て、その様子を驚いて見ている新婦に「私」はいう。「ねえ、いちばん上の水槽に両手をゆっくりと入れてみてよ」。「私」は水槽に沈められた白い手を見つめる。「細くしなやかな十本の指をひらめかせた彼女の手は、そのときぬめらかで美しい、物言わぬくらげになっていた」。友人の新婦となった女性への、ぬめらかなクラゲのような、また、水のような、不明確で定まらない恋心。挿入されたテキストは、梶井基次郎『桜の木の下には』のフランス語訳。
 『砂の森』——女友だちのベアトリスが中等教員免許状取得試験を受ける。M市にある試験会場近くのF**森に「私」に見せたいものがあるので、付き合ってほしいという。パリ郊外の両親不在の彼女の家に一泊し、翌日試験会場へ同行することになった。彼女の家には、グリブーユという猫がいる。頭が異様に大きい三等身の灰色の猫で、お腹の皮がたふたふしている。右利きで水の渦に異常なほど執着心を見せる変わった猫だ。
 さて、翌日、試験会場の彼女を送り届けた「私」は小さな美術館を覗いたりしながらM市を散策する。突然の雨。河岸にしっかりと繋留された平底船の本屋を見つけ、雨宿りする。そこで彼女が薦めてくれた本を見つける。ジャック・ドゥラマン著『鳥たちはなぜ歌うのか』。
 試験を終えた彼女と、夕暮れが迫る中F**森に向かう。砂の森。12歳の時、彼女はそこの岩穴で1週間過ごした。その十年後、この岩穴の向かいにある小屋で5ヶ月間の隠遁生活をしたという。いったい誰と過ごしたんだろう、と「私」が思っていると、突然彼女は崖から飛び降りる。驚いた「私」が彼女の名を連呼する。
 『アメリカの晩餐』——少しいかがわしく思いながらも引き受けた通訳の仕事。フランス人の映画プロデューサーに日本人の投資家が、自らが投資した作品を指名してもらうための根回しだ。エッフェル塔とセーヌ川を見渡せる映画プロデューサーの豪華なアパルトマン(しかし、改装中!)での食事と交渉。当該作品の主演はデニス・ポッパー。「私」は彼の主演作品『アメリカの友人』を思い出しながら、フィリピン人の女性料理人の飾りのない料理に感嘆する。後日、そのプロデューサーから別件の仕事依頼がくる。アパルトマンを訪ねるが、彼は急用で来られない。そこで「私」は料理人である彼女と二人きりのディナーを提案する。彼女の発した「メヌード」というフィリピンの煮込み料理を、「メ・ヌー(でも、わたしたち…)」というフランス語と聞き違えた「私」は笑いの発作に囚われる。
『ゼラニウム』——配水管から水漏れがしている。「私」は配管工を探し出し、連絡をとる。配管から出て来たのは、ハムスターに酷似した、水を含み膨れ上がったタンパックスが7個。このアパートに住んでいる女性は、知る限り最上階に住む70歳を越えたマダム・フォレスチエだけだ。「捨てないでタンパックス」という戯れ歌めいた張り紙を貼った「私」はまたまた彼女の荷物を持って、最上階まで彼女をエスコートすることになる。彼女の口から家主と自分との間に起こった昔の惨劇が語られ、家主はまだ自分が「タンパックス」の必要な女だと思っているのか、と糺弾する。
「もしかして私はとんでもない思いちがいをしているのではないか、じつはこの老女こそハムスターを見殺しにした若い娘のべつの姿ではないのか。あと一階を残した小さな踊り場で呼吸を整えた彼女が、とつぜんなまめかしい笑みを浮かべて私を見つめる。ゼラニウムの花弁をむしり取ったように赤く崩れたその唇から、もう目を離すことができない」。
 『梟の館』——舞台は池袋近郊。「私」が持っていた袋に描かれていた梟のマーク(フランスの出版社のマーク)で声をかけて来たフランス人女性。彼女の住まいで外国人女性に囲まれ、ウイスキーの豆乳割りを啜りながらとんでもない狂乱の酒盛りに付き合う羽目に。その最中、特売のパンティを大量に買い込んだ女性が、闖入し、それを部屋中にばらまく。「シルビアと呼ばれた女性は、キンカドー、バンザイ! キンカドー、サイコー! を連呼しながらつぎからつぎへと薄手の布を放り投げ、特売のシールが貼られた正札がまだきっちりとお守りのようにひっついた黒やベージュやピンクの飛来物が嬌声のなかでときどきふわりと夜目の利く鳥のようにふくらんでその全容をあらわにし、手を出そうか出すまいか、赤毛に肩を寄せられながら底なしの笑い声に居場所をなくした私は、イザベルのことも本のこともすっかり忘れて、茶色い液体を吸い取ってどす黒く色をかえた布切れがぺったりと畳にはりつくさまをただ呆然と眺めていた」のだ。
● モシャの呟き
 この小説って、なんかお洒落ですね。「さくらんぼのお裾分け」なんて、私はもらったことがないです。
「お裾分け」といえば、「いかなごのくぎ煮」。実家にいた頃、いかなごのシーズンになると、近所の奥さんたちがこぞっていかなごを煮、お裾分けしてくれるため、食卓にはさまざまなお宅のいかなごのくぎ煮がならんでいました。
 いかなご…お洒落じゃない…。
 また、念のため申し上げておきますが、「いかなご」は小魚です。「いなご」じゃないですよ。
最新記事
月別アーカイブ
プロフィール

●ミネルバネオ代表 石橋武
【経歴】
1974年/立命館大学経営学部を卒業し、㈱大阪読売広告社に入社
1994年/現代文講師出口汪氏と大学受験予備校S.P.Sを立ち上げるべく、㈱大阪読売広告社を退社。㈱ミネルバ代表取締役として、大阪、後に東京で大学受験予備校S.P.Sを経営。
2002年/大阪のS.P.Sにて、出口氏が開発した教材「論理エンジン」を使用した個人のお客様向け添削業務や国語特訓塾、学校様・塾様向けの「論理エンジン」販売や指導方法のレクチャーを開始。
2007年5月/㈱水王舎代表取締役に就任し、「論理エンジン」営業のみならず、書籍の企画・販売にも携わる。
2011年2月、㈱水王舎代表代表取締役を退任。
2011年8月/ミネルバネオを設立
趣味は読書、映画鑑賞。MC中心のお笑いオヤジバンドの一員でもある。

●共同執筆者(ペンネーム:モシャ)プロフィール
甲南大学を卒業しました。
ミネルバネオで働いています。
30代半ばを過ぎてしまいました。
よく聴く音楽はプリンス、レディオヘッド、シールなどです。
親戚は人間国宝(陶芸)です。ちなみに私の父方の祖父も陶芸家でした。

・当ブログの内容について、無断掲載、転用を禁じます。

カテゴリ