石橋 武の「多読乱読、言いたい放題!」110
私が今まで読んだ本のうち、印象に残った本を紹介しています。
●村上春樹『蛍・納屋を焼く・その他の短編』。
1984年上梓。
1983〜84年、『回転木馬のデッド・ヒート』と前後する時期に発表された短編で構成されている。
◆「蛍」:学生寮で暮らす僕。その学生寮では荘厳な君が代が流される国旗掲揚で1日が始まる。高校時代に知り合いだった女の子と再会する。彼女の彼氏だった僕の友人は、ある日、自殺した。そして、(恐らく)彼女は、彼女の何処かは、確実に損なわれてしまった。そんな彼女と何となく付き合い出す。そして、なんとなく、一度きりだったが、身体の関係もできる。そして、ある日突然、彼女は京都の療養所に入る、といって東京からいなくなってしまう。まるで『ノルウェイの森』の1エピソードのようだ。
◆「納屋を焼く」:パントマイムで「蜜柑剥き」をする彼女と出会う。彼女は北アフリカへ行き彼氏を連れて帰ってくる。ある日二人が僕の部屋へ遊びにくる。彼女が酔って寝てしまってから、二人で話す。その彼氏の趣味は「納屋を焼く」ことだと言う。近々、僕の近所の納屋を焼くという。僕は近所の納屋をリストアップし、順繰りに監視する。どこも焼かれないまま、その彼と再会する、その彼は、焼いたという。
◆「踊る小人」:象工場に務める僕。夢の中に踊る小人が出てくる。凄い踊りだ。工場仲間から、踊る小人を知っている老人の存在を聞き、その老人と話をする。革命前に、皇帝が倒れる前に、その小人の踊りを見た、と老人は話す。僕に好きな女ができる。どうアプローチしてよいか分からない。ある日、夢の中の小人に相談する。踊りで彼女はお前のものになる、と小人は言う。しかし、僕は踊れない。小人の提案は、僕の中に自分が入り、僕の身体を使い、見事に踊ってみせよう。そうすれば、彼女はお前のものだ。一つの条件が付帯する。決して声を出してはいけない。声を出したら、お前の身体は私のものになる。彼女をダンスフロアから連れ出し、彼女を抱こうとしたとき、突然、彼女の肉体は崩れ出し、ウジが沸き出し、腐臭が漂う。僕は悲鳴を食い止める。これは、小人が仕掛けた罠だ。彼は耐え、彼女をものにすることができたのだが…。結局、彼はその踊りのせいで追われる身になってしまうのだ。
◆「めくらやなぎと眠る女(ロング・バージョン)」:難聴気味のいとこの付き添いで病院へ行く。彼の治療を待つ間、僕は8年前の高校生の頃、同じ病院で胸の手術をした友人の彼女を見舞いに行った時のことを思い出していた。紙ナプキンの裏に彼女が創作したらしい「めくらやなぎ」の絵を描いていた彼女。かがみこんでそれを描いているものだからパジャマの襟もとから乳房の間の平らな白い肉が見えた。
◆「三つのドイツ幻想」:1.冬の博物館としてのポルノグラフィー:セックスのことを考えると、僕はいつも博物館にいる。2.へルマン・ゲーリング要塞1983:東ドイツの青年が自慢するヘルマン・ゲーリングが作った要塞。1945年のロシア侵攻にもびくともしなかった。しかし、ヘルマン・ゲーリングの愛した美しいハインケル117爆撃機は、ウクライナの荒野の何百とその白骨を晒しているのだ。3.ヘルWの空中庭園:クロイツベルクの霧の海の中にぽつんと浮かぶ空中庭園。東西ベルリンを隔てる壁の脇に建つ4階建てのビルの屋上に繋がれ、15センチだけ浮かんでいる空中庭園。ヘンデルの「水上の音楽」の第二楽曲。それは、とてもこの空中庭園にふさわしい。「夏にまた来なさい」とヘルWは言う。
リアリズムもあれば、幻想的な話もある。表層的な意匠は別にして、これらの短編に共通しているのは、モヤモヤとしたなんとなく重苦しい空気感——あえて言葉にすれば「静かな締念」とでも言えるか。これらの短編は、それをより的確に表現する手段を、手探りで模索しているかのようだ。私的には、完成度は別にして、これらの過渡期的(?)な短編小説は嫌いではない。
● モシャの呟き
パントマイムの「蜜柑剥き」。自信満々にやられそうなので、出来ることなら一生見たくないです。
●村上春樹『蛍・納屋を焼く・その他の短編』。
1984年上梓。
1983〜84年、『回転木馬のデッド・ヒート』と前後する時期に発表された短編で構成されている。
◆「蛍」:学生寮で暮らす僕。その学生寮では荘厳な君が代が流される国旗掲揚で1日が始まる。高校時代に知り合いだった女の子と再会する。彼女の彼氏だった僕の友人は、ある日、自殺した。そして、(恐らく)彼女は、彼女の何処かは、確実に損なわれてしまった。そんな彼女と何となく付き合い出す。そして、なんとなく、一度きりだったが、身体の関係もできる。そして、ある日突然、彼女は京都の療養所に入る、といって東京からいなくなってしまう。まるで『ノルウェイの森』の1エピソードのようだ。
◆「納屋を焼く」:パントマイムで「蜜柑剥き」をする彼女と出会う。彼女は北アフリカへ行き彼氏を連れて帰ってくる。ある日二人が僕の部屋へ遊びにくる。彼女が酔って寝てしまってから、二人で話す。その彼氏の趣味は「納屋を焼く」ことだと言う。近々、僕の近所の納屋を焼くという。僕は近所の納屋をリストアップし、順繰りに監視する。どこも焼かれないまま、その彼と再会する、その彼は、焼いたという。
◆「踊る小人」:象工場に務める僕。夢の中に踊る小人が出てくる。凄い踊りだ。工場仲間から、踊る小人を知っている老人の存在を聞き、その老人と話をする。革命前に、皇帝が倒れる前に、その小人の踊りを見た、と老人は話す。僕に好きな女ができる。どうアプローチしてよいか分からない。ある日、夢の中の小人に相談する。踊りで彼女はお前のものになる、と小人は言う。しかし、僕は踊れない。小人の提案は、僕の中に自分が入り、僕の身体を使い、見事に踊ってみせよう。そうすれば、彼女はお前のものだ。一つの条件が付帯する。決して声を出してはいけない。声を出したら、お前の身体は私のものになる。彼女をダンスフロアから連れ出し、彼女を抱こうとしたとき、突然、彼女の肉体は崩れ出し、ウジが沸き出し、腐臭が漂う。僕は悲鳴を食い止める。これは、小人が仕掛けた罠だ。彼は耐え、彼女をものにすることができたのだが…。結局、彼はその踊りのせいで追われる身になってしまうのだ。
◆「めくらやなぎと眠る女(ロング・バージョン)」:難聴気味のいとこの付き添いで病院へ行く。彼の治療を待つ間、僕は8年前の高校生の頃、同じ病院で胸の手術をした友人の彼女を見舞いに行った時のことを思い出していた。紙ナプキンの裏に彼女が創作したらしい「めくらやなぎ」の絵を描いていた彼女。かがみこんでそれを描いているものだからパジャマの襟もとから乳房の間の平らな白い肉が見えた。
◆「三つのドイツ幻想」:1.冬の博物館としてのポルノグラフィー:セックスのことを考えると、僕はいつも博物館にいる。2.へルマン・ゲーリング要塞1983:東ドイツの青年が自慢するヘルマン・ゲーリングが作った要塞。1945年のロシア侵攻にもびくともしなかった。しかし、ヘルマン・ゲーリングの愛した美しいハインケル117爆撃機は、ウクライナの荒野の何百とその白骨を晒しているのだ。3.ヘルWの空中庭園:クロイツベルクの霧の海の中にぽつんと浮かぶ空中庭園。東西ベルリンを隔てる壁の脇に建つ4階建てのビルの屋上に繋がれ、15センチだけ浮かんでいる空中庭園。ヘンデルの「水上の音楽」の第二楽曲。それは、とてもこの空中庭園にふさわしい。「夏にまた来なさい」とヘルWは言う。
リアリズムもあれば、幻想的な話もある。表層的な意匠は別にして、これらの短編に共通しているのは、モヤモヤとしたなんとなく重苦しい空気感——あえて言葉にすれば「静かな締念」とでも言えるか。これらの短編は、それをより的確に表現する手段を、手探りで模索しているかのようだ。私的には、完成度は別にして、これらの過渡期的(?)な短編小説は嫌いではない。
● モシャの呟き
パントマイムの「蜜柑剥き」。自信満々にやられそうなので、出来ることなら一生見たくないです。