地獄の蓋は2度ひらく ※「わしの元恋人」「わしの庭、難波・心斎橋にて」の続きです。
父は20代の頃、電気関係の会社員で、営業担当でした。そして、その会社に新入社員である母が入社してきた、というところまで前回お話ししました。
母は、当時まだ珍しかったであろう、電子レンジの試食販売をその会社で担当していました。家電販売店の店先などで電子レンジで作ったものをお客さんに試食してもらい、電子レンジを売る係でした。しかし、母は、トークが下手でした。そこで、営業である、トーク上手な大阪人の父が、トーク担当になりました。父が電子レンジについて熱く語ると、電子レンジは飛ぶように売れました。
そんなこんなで、母と父は結婚しました。
が、結婚後、母と母方の親戚に色々とだまされ、父は大阪の会社を辞め、大阪から神戸に連れてこられたらしいのです。だまされたと気づいた時には、どうしようもなかったため、電気関係の会社を27才で開業し、社長となりました。開業後の数年間は、毎日長時間働いた後に資格試験の勉強という、かなりハードな日々を過ごしたそうです。
「だまされた」というのは、父の主観です。
が、とにかく父は、母を恨んでいました。酒を飲むとイヤな過去を思いだすようで、私によくグチっていました。
皆さんも、地獄の蓋を、開けないようにお気をつけください。
母は、当時まだ珍しかったであろう、電子レンジの試食販売をその会社で担当していました。家電販売店の店先などで電子レンジで作ったものをお客さんに試食してもらい、電子レンジを売る係でした。しかし、母は、トークが下手でした。そこで、営業である、トーク上手な大阪人の父が、トーク担当になりました。父が電子レンジについて熱く語ると、電子レンジは飛ぶように売れました。
そんなこんなで、母と父は結婚しました。
が、結婚後、母と母方の親戚に色々とだまされ、父は大阪の会社を辞め、大阪から神戸に連れてこられたらしいのです。だまされたと気づいた時には、どうしようもなかったため、電気関係の会社を27才で開業し、社長となりました。開業後の数年間は、毎日長時間働いた後に資格試験の勉強という、かなりハードな日々を過ごしたそうです。
「だまされた」というのは、父の主観です。
が、とにかく父は、母を恨んでいました。酒を飲むとイヤな過去を思いだすようで、私によくグチっていました。
皆さんも、地獄の蓋を、開けないようにお気をつけください。