SPS予備校を閉めた理由について
前回『ヒア アフター』について書き始めたはずが、最後の方で、完全にSPS予備校の話になってしまいました。今回は、SPS予備校の話の続きを書きます。
元々、SPS予備校は、早慶上智などの超難関大学に入学したい受験生がやってくる予備校でした。そして実際、早慶上智などの超難関大学へ入学された生徒さんは、かなりの人数、いらっしゃいました。とにかく他の予備校では、あり得ないような合格率でした。
そんなSPS予備校の大阪校を閉めたのは、「当時関西の景気がかなり悪くなっており、自宅から通える関西の大学を目指す方々が急激に増え、超難関大学に入りたい受験生が減ってきていた」のと「『論理エンジン』が完成し、その営業をSPS予備校を経営していた株式会社ミネルバがやることになった」という2つの理由からでした。
私は上記の理由から、大阪校を閉めることにについて、納得していました。
そして、それから数年後。
株式会社ミネルバは、株式会社水王舎の役員の女性から、ある提案を持ちかけられました。その提案は、一見株式会社ミネルバと株式会社水王舎のお互いにとってWinーWinな話に思えました。
が、正直、私は「止めた方がいいのでは?」と思いました。水王舎の役員の女性に、交換条件として「東京校は閉めて」と言われていました。けれど私は東京校を残したかったんです。
私は何度も「東京校だけ残せないか」と、聞きました。しかし、毎回答えはノーでした。
そして、SPS予備校を経営していた株式会社ミネルバは、当時株式会社水王舎の役員の女性から提示されたプランを受け入れ、東京校も閉めるという決断をしました。
今でも、あのままSPS東京校を続けていたらどうなったんだろうかなぁ…と思います。
閉めたことが良かったのか、悪かったのか、私にはわかりません。多分私が死ぬときに、自分の人生を振り返り、そのとき初めて結果がわかると思います。
ただ、一つだけ言えるのは、「英語の横山雅彦先生がSPS予備校を辞めたこと」と「SPS予備校を閉めたこと」には、何の因果関係もないです。ネット上でそういう記載があるのを見て、私は、逆に驚きました。
横山先生にSPS予備校で、熱気溢れる授業をしていただいていたことは、事実です。
が、元々、横山先生はSPS予備校が開校し、数年してから来ていただいていた講師の方です。横山先生に来ていただく前から、SPS予備校在校生の超難関大学への合格実績には凄まじいものがありましたし、横山先生がいらっしゃらなくなった後も、SPS予備校には、一流講師の方々が多数いらっしゃったため、合格実績は変わらずでした。
横山先生が居なくなったから、SPS予備校を閉める羽目になったという、メガトン級の災難を横山先生が辞めることにより、もし引き起こしていたなら、私は横山先生に対して今でも怒り狂っていると思いますよ…。
とにかく「横山先生」イコール「SPS予備校を滅亡に追い込んだ人物」みたいな誤解が生じている可能性があり、横山先生に申し訳ないため、そこをはっきりしときたいなぁと思いました。
とにかく、とある女性の提案を発端に、SPS東京校を閉めることとなったんです。そして、この方は、私たちがSPS予備校を閉め、ミネルバネオを立ち上げるまでの数年の間に、お亡くなりになりました。ミネルバネオ開業をお伝えするため、久しぶりに連絡しようとした際に、私はその事実を知りました。
私の人生に影響を与えた方だったので、こんなに早く、若くして亡くなったら、ダメなんじゃないか? と思いました。
ご冥福をお祈りいたします。
あと、この方から以前いただいた、粉がまぶされた生チョコ。それがめちゃくちゃ美味かったんです。東京の、どこで売ってるか知りたかった。が、今となってはわからないままですね。困りました。
元々、SPS予備校は、早慶上智などの超難関大学に入学したい受験生がやってくる予備校でした。そして実際、早慶上智などの超難関大学へ入学された生徒さんは、かなりの人数、いらっしゃいました。とにかく他の予備校では、あり得ないような合格率でした。
そんなSPS予備校の大阪校を閉めたのは、「当時関西の景気がかなり悪くなっており、自宅から通える関西の大学を目指す方々が急激に増え、超難関大学に入りたい受験生が減ってきていた」のと「『論理エンジン』が完成し、その営業をSPS予備校を経営していた株式会社ミネルバがやることになった」という2つの理由からでした。
私は上記の理由から、大阪校を閉めることにについて、納得していました。
そして、それから数年後。
株式会社ミネルバは、株式会社水王舎の役員の女性から、ある提案を持ちかけられました。その提案は、一見株式会社ミネルバと株式会社水王舎のお互いにとってWinーWinな話に思えました。
が、正直、私は「止めた方がいいのでは?」と思いました。水王舎の役員の女性に、交換条件として「東京校は閉めて」と言われていました。けれど私は東京校を残したかったんです。
私は何度も「東京校だけ残せないか」と、聞きました。しかし、毎回答えはノーでした。
そして、SPS予備校を経営していた株式会社ミネルバは、当時株式会社水王舎の役員の女性から提示されたプランを受け入れ、東京校も閉めるという決断をしました。
今でも、あのままSPS東京校を続けていたらどうなったんだろうかなぁ…と思います。
閉めたことが良かったのか、悪かったのか、私にはわかりません。多分私が死ぬときに、自分の人生を振り返り、そのとき初めて結果がわかると思います。
ただ、一つだけ言えるのは、「英語の横山雅彦先生がSPS予備校を辞めたこと」と「SPS予備校を閉めたこと」には、何の因果関係もないです。ネット上でそういう記載があるのを見て、私は、逆に驚きました。
横山先生にSPS予備校で、熱気溢れる授業をしていただいていたことは、事実です。
が、元々、横山先生はSPS予備校が開校し、数年してから来ていただいていた講師の方です。横山先生に来ていただく前から、SPS予備校在校生の超難関大学への合格実績には凄まじいものがありましたし、横山先生がいらっしゃらなくなった後も、SPS予備校には、一流講師の方々が多数いらっしゃったため、合格実績は変わらずでした。
横山先生が居なくなったから、SPS予備校を閉める羽目になったという、メガトン級の災難を横山先生が辞めることにより、もし引き起こしていたなら、私は横山先生に対して今でも怒り狂っていると思いますよ…。
とにかく「横山先生」イコール「SPS予備校を滅亡に追い込んだ人物」みたいな誤解が生じている可能性があり、横山先生に申し訳ないため、そこをはっきりしときたいなぁと思いました。
とにかく、とある女性の提案を発端に、SPS東京校を閉めることとなったんです。そして、この方は、私たちがSPS予備校を閉め、ミネルバネオを立ち上げるまでの数年の間に、お亡くなりになりました。ミネルバネオ開業をお伝えするため、久しぶりに連絡しようとした際に、私はその事実を知りました。
私の人生に影響を与えた方だったので、こんなに早く、若くして亡くなったら、ダメなんじゃないか? と思いました。
ご冥福をお祈りいたします。
あと、この方から以前いただいた、粉がまぶされた生チョコ。それがめちゃくちゃ美味かったんです。東京の、どこで売ってるか知りたかった。が、今となってはわからないままですね。困りました。