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スミマセン、訂正です。

 前回の訂正です。
 前回ブログに「地獄の窯の蓋」と書いてしまっていました。
 正しくは「地獄の釜の蓋」ですね。
 「窯」って…。
 「地獄で俺たちがピッツァ作りをしているとでも思ってるのかよ?」と鬼さんたちから突っ込まれそうですね。
 スミマセンでした。鬼さん&皆さん。
 正しくは、「釜」です。
 前回ブログはこっそり直しておきますね。
 ちょっと最近ボンヤリしていますね、私。
 こんなんではダメなんで、次のブログは、久しぶりにピリピリした話題にしてみます。

前回の「地獄の蓋は2度ひらく」について

 文章を書いた後、バッサリ削った部分があり、ちょっとわかりにくいお話になっていることに、アップした後に気づきました。
 スミマセン。
 地獄の蓋についての私のイメージは、蓋に「誰々との結婚」とか「××への転職」と書いてあり、その蓋を開けて中に入る感じです。で、入ってしまって鬼に捕まり、こんなはずじゃなかった的な。
 なので、1年に2回開くとされる、「地獄の釜の蓋」についてのお話ではないので、よろしくお願いします。
 紛らわしくてスミマセン。
 

地獄の蓋は2度ひらく ※「わしの元恋人」「わしの庭、難波・心斎橋にて」の続きです。

 父は20代の頃、電気関係の会社員で、営業担当でした。そして、その会社に新入社員である母が入社してきた、というところまで前回お話ししました。
 母は、当時まだ珍しかったであろう、電子レンジの試食販売をその会社で担当していました。家電販売店の店先などで電子レンジで作ったものをお客さんに試食してもらい、電子レンジを売る係でした。しかし、母は、トークが下手でした。そこで、営業である、トーク上手な大阪人の父が、トーク担当になりました。父が電子レンジについて熱く語ると、電子レンジは飛ぶように売れました。
 そんなこんなで、母と父は結婚しました。
 が、結婚後、母と母方の親戚に色々とだまされ、父は大阪の会社を辞め、大阪から神戸に連れてこられたらしいのです。だまされたと気づいた時には、どうしようもなかったため、電気関係の会社を27才で開業し、社長となりました。開業後の数年間は、毎日長時間働いた後に資格試験の勉強という、かなりハードな日々を過ごしたそうです。
 「だまされた」というのは、父の主観です。
 が、とにかく父は、母を恨んでいました。酒を飲むとイヤな過去を思いだすようで、私によくグチっていました。
 皆さんも、地獄の蓋を、開けないようにお気をつけください。
 

年末年始と大人の世界

 2020年大晦日と2021年お正月は、かなり美味しいものを食べました。
 寿司、ステーキ、フォアグラ、ローストビーフにしゃぶしゃぶ。
 ダメ人間になりそうです。
 4日間連続で豪華で美味しいものを食べたのは、久しぶりでした。毎年、年末年始の4日間のうち2日は、よくわからない料理を食べていたので。
 よくわからない料理とは、例えばグルメイドステーキという安い5枚入りパック400円ぐらいのハムステーキ1枚と目玉焼きとご飯のみ、とかです。これはこれで美味しいんですが、年末年始っぽくないですよね。
 でも、今年は奮発しました。
 ストレスが溜まっていたんだと思います。
 あと、今年からプライベートな年賀状をやめたため、めちゃくちゃ気楽でした。年賀状作りという義務から解放され、「なんで今まで書いていたのか…。こんなことなら、20年ぐらい前からやめておけば良かった」と思いました。
 「今年こそ会いましょう」
 私はいただいた年賀状に、そう書かれているのを読むのが苦痛だったんですよ。本気で会いたいと思っている人と社交辞令で言っている人との区別がわからないので、私はモヤモヤしました。
 で、「この人、まさか本気で言ってないだろう」と思った人に対して、私が翌年の年賀状に社交辞令のつもりで、「会いたいですね」と書いて送ると、案外「いつにしますか?」と連絡が来たりしたんですよね。
 あれれ? です。
 そこで、「いや、忙しいから無理なんだけど。困った」とよくなりました。でも自業自得ですよね。
 まぁ、そんなことも、年賀状をやめてしまえば解決です。
 このご時世で会うのは難しいので、今年の年賀状には、「落ち着いたら会いましょう」と皆さん書かれたんでしょうね。
 しかし、社交辞令なんで、落ち着いても絶対に会わないつもりだったり…。
 なんか、大人の世界だなぁと思います。

わしの庭、難波・心斎橋にて ※「わしの元恋人」の続きです。

父「で、会社の人に聞いたら、『(彼女は)いきなり会社を辞めた』って言われてん。だから、その日も来んかった。だから、わしは彼女に会えんようになった」

私の内心→わけのわからん女やな。

父「けど、なんでそんなことになったんか、わしにはわからんかった。心当たりがない。わしはショックでな。それから、会社帰りとか休みの日に、一人で難波とか心斎橋のバーに適当に入って飲んだくれとったんや。貯金しとった金、全部飲んだろうと思うて」

私の内心→大丈夫か、パパン。

父「でな、彼女がおらんようになって半年経った頃にな。わしは全く知らんバーに、酔った状態で入ってん。店にはバーテンが一人で、客は一人もおらんかった。『いらっしゃいませ』って言われて、わしはカウンター席に座った。そしたら、バーテンがボソボソした声で、誰かに短い電話をかけたんや。わしは、イヤな予感がした。でも、何も飲まんと帰るのはおかしいから、とにかく普通に一杯だけ飲んで、すぐに店を出ると決めたんや」

私の内心→たしかにイヤな予感がするなぁ。

父「で、頼んだやつを飲んで、わしは会計した。で、『あれ? 普通の値段やなぁ』思うて、一瞬安心したんや。でも、店を出て、すぐにヤバイと思うた。店の外は細い路上やってんけど、向こうから、チンピラが二人歩いてきてん。わしの後ろは店と行き止まりや」

私の内心→こっわっ!

父「わしは前に歩くしかないから歩いた。そしたら、前から来たチンピラ二人にいきなり殴られたんや。で、財布盗ろうとされたから、わしも殴り返した。けど、相手はめちゃくちゃ強かってん。わしは、結構殴られて、最後、道端の溝に落とされてん。溝やで。最悪や。で、しばらく気ぃ失うとったら、『×××(父の名前)ちゃん!』って声がして、××(父の母の名前)さんがわしを溝から出して、着替えさせ、タクシーで連れて帰ってくれてん。誰がどうやって××さん(父の母)に連絡したんかわからんねんけど、まぁ、どうにか助かった。多分店のバーテンとチンピラはグルや。不思議なもんで、ちょうど貯金してた金もなくなる頃やった。で、まぁ、それからヤケ酒は止めてん。あとな、わしを殴ったやつ、絶対、元ボクサーや」

 父の元恋人は、一体何がしたかったんでしょうか。私も色々想像しました。
 父の同僚から父に乗り換えたように、また社外の別の男性に乗り換えたのか。それとも『風と共に去りぬ』を毎回観て毎回泣くということだったので、元々精神状態が悪く、その後さらに悪化したため姿を消したのか。
 この女性が父にとってファムファタルだったのは間違いないと思います。が、姿を消した理由については、想像の域をこえません。
 あと、多分父の母親に電話をしたのは、バーテンかチンピラでしょうね。財布の中から連絡先を見つけ、連絡したのだと思います。父に死なれたら厄介ですしね。
 私が父なら、毎回同じ映画に行くことになった時点でアウトです。もし、そこを我慢し、最終的に机の中に通帳が入っているのを見るまで付き合っていたとしても、「なんか最後まで意味不明な気持ち悪い人やったなぁ」と思い、全部なかったことにします。ヤケ酒もせず、普通に生活します。貯金は、数回高めのお店に行くために使い、残りは使いません。というのが理想なんですが、私の場合、フカヒレなどを何回も食べ、スッカラカンになるかもしれませんね。
 ちなみに父は、チンピラに殴られた半年後、新入社員として入社してきた母に会いました。
 が、それでメデタシメデタシとは、私には到底思えません。父にとっては、新たな地獄の始まりだったように思えます。種類が変わっただけで、結局地獄は地獄というか。
 これ以上書くと色々問題が出そうなんで、今回はやめときます。が、続きます。
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プロフィール

●ミネルバネオ代表 石橋武
【経歴】
1974年/立命館大学経営学部を卒業し、㈱大阪読売広告社に入社
1994年/現代文講師出口汪氏と大学受験予備校S.P.Sを立ち上げるべく、㈱大阪読売広告社を退社。㈱ミネルバ代表取締役として、大阪、後に東京で大学受験予備校S.P.Sを経営。
2002年/大阪のS.P.Sにて、出口氏が開発した教材「論理エンジン」を使用した個人のお客様向け添削業務や国語特訓塾、学校様・塾様向けの「論理エンジン」販売や指導方法のレクチャーを開始。
2007年5月/㈱水王舎代表取締役に就任し、「論理エンジン」営業のみならず、書籍の企画・販売にも携わる。
2011年2月、㈱水王舎代表代表取締役を退任。
2011年8月/ミネルバネオを設立
趣味は読書、映画鑑賞。MC中心のお笑いオヤジバンドの一員でもある。

●共同執筆者(ペンネーム:モシャ)プロフィール
甲南大学を卒業しました。
ミネルバネオで働いています。
30代半ばを過ぎてしまいました。
よく聴く音楽はプリンス、レディオヘッド、シールなどです。
親戚は人間国宝(陶芸)です。ちなみに私の父方の祖父も陶芸家でした。

・当ブログの内容について、無断掲載、転用を禁じます。

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